- 法改正・政策動向-競争法
- 溝上武尊
「知財取引指針」の概要――読み解く際の留意点(公取委・知財取引指針を読み解く①)
弁護士 溝上武尊(弁護士法人HIRAKU)
- 知財取引指針は、優越的地位濫用を中心に知財取引に関する考え方を整理した新たな指針です。
- 指針には、独占禁止法等の法的な考え方だけでなく、政策的な考え方も含まれており、指針を読む際には、各記載の法的な位置付けを意識しながら読み進めることが重要です。
- 指針で紹介されている「問題となり得る事例」は、優越的地位濫用等の要件を満たした場合に問題となるおそれがある事例であり、実際には優越的地位の有無等を自ら判断する必要があります。
目次
1. 「知財取引指針」の経緯
2026年6月24日、公正取引委員会(公取委)は中小企業庁・特許庁と連名で「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」(公取委の通称に従い「知財取引指針」と略します)を公表しました。知財取引指針は、主に独占禁止法上の優越的地位濫用の観点から、知的財産取引に関する業種横断的な考え方と、既存の各種指針等との関係性を整理したものです。
中小企業等の取引上の立場の弱い事業者から知的財産権やノウハウを無償又は低廉な価格で吸い上げる行為は以前から問題視されてきました。2019年に公取委「製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書」が公表され、知財の吸い上げ行為の存在が広く認識される契機となりました。2021年には公取委「スタートアップとの事業連携に関する指針」(スタートアップ指針)が公表され、スタートアップとの取引に限定したかたちで、知財の吸い上げ行為等が優越的地位濫用等の問題になり得ることが指針レベルで明らかにされました(当該指針は2022年に「スタートアップとの事業連携及びスタートアップへの出資に関する指針」との名称に変更されましたが、知財の吸い上げ行為等に関する内容は同じです)。
そして、昨年に下請法が改正され、本年1月より中小受託取引適正化法(取適法)が施行されているのは記憶に新しいところでしょう。その改正過程の議論から派生して昨年夏に公正取引委員会(企業取引研究会)に「知的財産取引適正化ワーキンググループ」(知財取引適正化WG)が設置され、そこで知財の吸い上げ行為等の問題について検討されてきました。本年3月にはその成果として知財取引適正化WG「知的財産取引適正化ワーキンググループ報告書」及び公取委「知的財産権・ノウハウ・データを対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書」が公表され、これらの内容に基づき知財取引指針が作成されました。
2. 指針の概要
知財取引指針の構成は以下のとおりです。メインパートである「第2」においては、公取委による独占禁止法の観点からの記述のみならず、中小企業庁・特許庁による実務的観点からの記述がなされています。
第1 総論
- 指針の概要
- 独占禁止法・取適法・フリーランス法の適用関係
第2 知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引に関する考え方
(「情報の管理」「知的財産権等の価値の不適切な評価」「その他の行為類型」について)
- 既存の指針等における考え方
- あるべき姿としての基本的な考え方 ……中小企業庁・特許庁
- 基本的な考え方を実現する方策 ……中小企業庁・特許庁
- 独占禁止法等の考え方・競争政策上の望ましい対応 ……公正取引委員会
- 実務における活用を想定した実践例 ……中小企業庁
第3 相談・支援体制
- 独占禁止法・取適法・フリーランス法等の観点からの相談・支援体制
- 知財の保護・活用の観点等からの相談・支援体制
また、「第2」で取り上げられている独占禁止法等の観点から問題となり得る事例は以下のとおりです。「情報の管理」「知的財産権等の価値の不適切な評価」「その他の行為類型」の各行為類型の下で多数の事例に言及されています。
1 情報の管理
- ノウハウ等の一方的な開示要請
- 一方的な開示要請(技術情報)
- 一方的な開示要請(設計図面、設計・加工データ等)
- 一方的な開示要請(工場見学等)
- 一方的な開示要請(産業データ)
- NDAの締結拒否等
- NDAの締結拒否
- 片務的なNDAの締結
2 知的財産権等の価値の適切な評価
- 知的財産権等の不当な対価設定等
- 取引の対価の一方的決定
- 知的財産権等の対価の不設定
- 対価設定方法の一方的決定
- 知的財産権等の不当な譲渡要請等
- 著作権の無償譲渡の要請
- 無償ライセンスの要請
- 著作者人格権の不行使条項の設定
- 中間成果物等の譲渡要請等
- 無償の技術指導、技術検証(PoC)、試作品製造等
3 その他の行為類型
- 出願干渉
- 知財訴訟等のリスク転嫁
- 共同研究開発等
- 共同研究開発等における成果物の不当な帰属等
- 知的財産権の一方的帰属
- 名ばかり共同研究開発等
- 共同研究開発における成果物に関する不当な条件設定等
- 共同研究開発の成果物の利用制限
- 最恵待遇条件
- 共有知的財産権の不利な取扱い
3. 指針を読み解く際の留意点
本稿では、詳細な個別論点の検討は別稿に譲り、まずは知財取引指針全体を俯瞰したうえで、読み解く際に特に留意すべき点を紹介します。知財取引指針には多くの観点・内容が含まれているため、これらの点にも留意しながら、情報を整理しつつ読む必要があります。
(1)「指針」であること
知財取引指針は単なる実態調査報告書ではなく「指針」です。指針とは、公取委が自らの考え方を示したものであり(「考え方」との名称が付されている場合もあります)、事実上、独禁法実務の基準になるものとして、裁判所にも一定程度尊重されることがあります。しかも、知財取引指針は、業種横断的に知的財産やノウハウの問題を整理したものであり、従前のスタートアップ指針などに比べても、より重みがあります。
(2)優越的地位濫用の観点から作成されたものであること
公取委における知財分野の指針としては、2007年の「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」(知財GL)や1993年の「共同研究開発に関する独占禁止法上の指針」(共同研究開発GL)がよく知られています。知財GLにはライセンス契約上の諸制限に対する独占禁止法上の考え方が記載されていますが、知財取引指針との大きな違いは、知財GLは優越的地位濫用の観点から作成されていないということです。
また、優越的地位濫用の観点から作成された指針としては、「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」(優越GL)があり、特許権等の知的財産権の無償提供要請などが問題となり得ることが記載されていますが、知的財産に関する内容はごく一部にとどまります。「役務の委託取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の指針」にも情報成果物に係る権利等の一方的取扱いに関する記述がありますが、役務委託取引に特化した指針であり、その適用範囲は限定的です。
知財取引指針は、業種横断的に優越的地位濫用の観点から知財取引の問題を取り上げたものとして実務的価値があります。
(3)独占禁止法等特定の法律に関わらない視点からも述べられていること
知財取引指針は公取委だけでなく、中小企業庁・特許庁も名義人となっています。そのことからもわかるように、知財取引指針は必ずしも独占禁止法や取適法といった競争法の観点からのみ記載されたものではありません。それにとどまらず、特定の法律を根拠にせず、政策的な観点から述べられた箇所も散見されます。
その一つが各行為類型の冒頭にある「基本的な考え方」という項目です。例えば「共同研究開発等」の「基本的な考え方」では、以下のとおり述べられています。
……研究開発経費を負担していることが直ちに成果である知的財産権等の帰属主体となることを正当化するものではない。共同研究開発の結果生じた知的財産権等の取得のための対価は、成果物創出への貢献度等を踏まえて定められることが原則であるので、通常、かかる知的財産権等を発明者でない者が獲得するためには、別途それに見合った対価を支払う必要がある……。
共同研究開発における成果の帰属条件は様々な事情を考慮してケースバイケースで決めるものであり、成果への貢献度を基準にすることを「原則」とまでいうべき法的な根拠はないと理解しています。取引上の立場に違いがあり優越的地位濫用が成立するケースであれば別ですが、そのような場面に限らず貢献度基準を「原則」と定めるのは、中小企業庁・特許庁の政策的な観点から述べられているものと位置付けることができます。「基本的な対応方針」や「競争政策上の望ましい対応」も同様です。
スタートアップ指針にもこのような政策的説明は見られます。スタートアップ指針では、各項目について「独占禁止法上の考え方」に続けて経済産業省による「問題の背景及び解決の方向性の整理」が記載されており、そこでは必ずしも独占禁止法に関わらない対応方針等が紹介されていました。ただ、スタートアップ指針では先に「独占禁止法上の考え方」が示されていたので、法的評価と政策的提言の区別が理解しやすくなっていました。他方、知財取引指針では、「基本的な考え方」「基本的な対応方針」が先にあり、その後に「独占禁止法等の考え方」が示され、また(必ずしも独占禁止法等に基づくものではない)「実践例」に戻るため、法的評価と政策的提言との境界が見えにくい構成となっています。そのため、各記載の規範的な位置付けを意識しながら読み進める必要があります。
(4)問題と「なり得る」事例にすぎないこと
独占禁止法等の観点から紹介されている「ノウハウ等の一方的な開示要請」や「知的財産権等の不当な対価設定等」といった事例は、あくまで問題と「なり得る」事例です。この点はスタートアップ指針等でも同様ですが、実際に優越的地位濫用が成立するには、優越的地位の存在等の要件を満たす必要があります。
例えば「片務的なNDAの締結」における「独占禁止法上の考え方」には以下のとおり記載されています。
取引上の地位が受注者に優越している発注者が、取引の相手方である受注者に対し、一方的に、片務的なNDAの締結を要請する場合であって、当該受注者が今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、正常な商慣習に照らして不当に不利益を与えることとなるおそれがあり、優越的地位の濫用(独占禁止法第2条第9項第5号)として問題となるおそれがある……。
片務的なNDAが直ちに独占禁止法違反になるというわけではなく、一方当事者の取引上の地位が優越しており、その当事者が一方的に要請する場合には、問題となる「おそれ」があるということです。
優越的地位の有無や一方的かどうかについては、知財取引指針に独自の説明はなく、優越GLや裁判例・審決例を踏まえて判断する必要があります。実際にはその判断が実務上悩む部分であり、今後の知財取引指針の改正等において、より具体的な説明の充実が期待されます。
(5)取適法・フリーランス法に言及されていること
一部の問題となり得る事例については、取適法・フリーランス法上の適用条文にも言及されています。適用の優先順位は、フリーランス法>取適法>独占禁止法であるとされています(公取委「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律と独占禁止法及び取適法との適用関係等の考え方」)。
実際に公取委が知財取引指針に基づいて独占禁止法違反事件を立件するかどうかは、前記の優越的地位の認定等の問題もあり不透明ですが、法執行が盛んな取適法・フリーランス法違反として立件される可能性は否定できないでしょう。知財取引指針で取適法・フリーランス法に言及されている点は実務上留意しておく必要があります。