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退職後の競業避止義務の有効性と損害額の算定――美容外科クリニック事件

大阪地裁令和8年7月9日判決

弁護士 溝上武尊(弁護士法人HIRAKU)

  • 分院長による退職直後の近隣開業について、退職後1年間の競業避止義務の有効性が認められました。
  • 裁判所は、秘密情報へのアクセス、院長としての地位、競業範囲の限定、報酬水準や独立支援制度などを踏まえ、競業避止義務は合理的かつ必要な範囲にとどまると判断しました。
  • 損害額については、限界利益を基礎として利益減少額を算定したうえで、他の競争要因等も考慮し、その約20%に当たる2200万円のみを因果関係のある損害として認めました。

判決全文

1.  はじめに

2026年7月9日、大阪地裁は、クリニック分院長の独立に伴う競業避止義務の有効性と、それに基づく損害賠償の範囲が争われた事件の判決を言い渡しました。元労働者に対する退職後の競業避止義務は、主に在職中に知り得た秘密情報の保護を実現するために課せられるもので、知的財産分野と労働分野の交錯領域に関する問題の一つです。

本稿では、裁判所がどのようなロジックで義務の有効性を認め、かつ損害額を算定したのかについて、従前の裁判例も踏まえて検討します。

2. 事案の概要

原告(医療法人)の理事及び分院(本件分院)の院長を務めていた被告(医師)が原告の退職直後に本件分院から約2kmという近接した場所に自らのクリニックを開設しました。原告は、退職後1年間、近隣での競業を禁じた合意に違反したとして、逸失利益約1億6120万円の損害賠償を求めました。

原告の競業避止に関する規則には以下のとおり記載され、これに対して被告は確認書(本件変更確認書)を提出していました。

当グループの院長を経験した者は、当グループの許可を得ないで一定基準を満たす市区町村区域(※2)において競業法人等への転職または独立自営を退職の日から1年間行ってはならない。(※2)退職前直近1年以内に院長として勤務経験のあるクリニックが所在する市区町村内,かつそのクリニックから半径10キロ以内(ただし、当該クリニックが東京23区内所在の場合は同一区及び当該区に隣接する区または市町村)

3. 判旨

裁判所は、争点について以下のとおり判断しました(下線及び見出しは筆者)。

(1)争点1:競業避止義務の有効性

① 判断基準

「一般に、退職後の競業避止義務は、職業選択の自由、営業の自由を制限するものであるから、競業を禁止する合意をした場合であっても、当然にその文言どおりの効力が認められるものではないことは確かであるものの、その制限が、競業禁止によって守られる利益の内容及び性質、在職中の地位、代償措置の有無、禁止行為の範囲や期間等を総合的に考慮し、合理的かつ必要な範囲を超えない場合には、公序良俗に反して無効となるものではないと解される」

② 競業避止義務の必要性

「本件についてみると、被告は、……令和3年11月から令和5年11月に退職するまでの約2年間、本件分院の院長兼管理者の地位にあり、それ以前も、原告グループに属する別の分院の院長兼管理者の地位にあるとともに、長らく原告の理事でもあり、美容外科クリニックを経営・管理する立場にあった。これに加えて、美容医療という業務の性質上、審美上の悩みや施術履歴を含めた顧客情報は、事業上の有用性、必要性の高い情報であるといえるが、被告はそういった情報にアクセスすることができた上、医師として個別の顧客との人的関係を構築する立場にもあったもので、被告の存在自体が、顧客の誘引、維持上も役割を果たしていたといえることも踏まえると、競業避止義務を課す必要性自体は高いといわざるを得ない」

③ 禁止行為の範囲・期間

「禁止される競業の範囲は、退職前直近1年以内に院長として勤務経験のある分院が所在する市区町村内、かつその分院から半径10キロメートル以内と、期間としても、地理的範囲としても限定されており、被告が上記のとおりの地位や役割にあったこととの対比において、その制限の程度も過度なものとはいえない

④ 代償措置

「被告は、……原告から年額2500万円という高額の固定給を支給されていた上、これに付加して、相当額に及ぶインセンティブ給与の支給も受けるなど……、経済的に厚遇であったこと、上記競業禁止と表裏のものとして、退職の日から1年間、取引業者の紹介、資金調達支援、WEB広告支援等の独立サポート制度の提供を受けることができるとされていたことからすると、上記制限の内容、程度に照らし、十分な代償措置も講じられていたといえる」

⑤ 結論

「本件変更確認書に基づく競業避止義務は、その制限が合理的かつ必要な範囲を超えるものではなく、公序良俗に反して無効とはいえない」

(2)争点2:損害額の算定

① 算定方法

「原告は、被告の競業避止義務違反による逸失利益を算定するにあたり、被告の退職前後での本件分院の利益変動を基礎とするもので、これ自体は合理的に想定できる算定方法の1つであるが、当該損害の性質上、売上げから控除すべきは変動費全般、つまり、ここでの利益変動は、限界利益によるべきといえる」

② 本件分院の利益減少額

「被告が退職する前の6か月間……のもの……を基礎として検討するに、まず本件分院の粗利率を90%、つまり、売上原価の率を10%とするのは合理的で……、被告もこの率自体に特段異を述べるものではない。そして、販管費については、上記6か月間の売上げが2億3903万6519円であるのに対し、同一期間に対応する旅費交通費(437万8950円)、消耗品費(124万4421円)、支払手数料(432万0600円)、外注費(8518円)、雑費(1028万7756円)は、その多くが変動費といえること、人件費(ただし、給料手当と賞与の合計額。5964万3984円)についても全面的に固定費なわけではなく、変動費としての性質を有する部分も一部含まれていることを総合考慮すると、販管費のうち変動費の占める部分は売上げの10%、売上原価と併せると20%で、本件分院の限界利益率を80%として、逸失利益算定の基礎とするのが相当である(……なお、美容医療に係る事業は、医師等の人件費や利便性の高い地域での店舗賃料が費用の多くを占めることになるため、変動費が比較的少なく、限界利益率が高くなることは、一般論としても了解可能である。)」

「競業避止義務の期間たる1年間の本件分院の利益減少額は、原告が主張立証する被告退職後の本件分院の年間売上げ減少額(1億7911万8155円……)に限界利益率(80%)を乗じた、1億4329万4524円と認められる」

③ 競業避止義務違反と因果関係のある損害

「被告が、退職前に、本件分院の顧客に独立・開業する旨を伝えたり、被告クリニックに勧誘するなどしたことを認めるに足りる証拠はなく、被告クリニックの顧客のうち、原告在職時からの顧客である旨証拠上確認できるのは数名に限られ……、原告在職時の既存顧客が被告クリニックに多数流出したことを直接証するような証拠はないこと、本件分院の売上は、被告が院長に就任した令和3年11月以降、被告の退職前から既に減少傾向にあり、同月時点での売上は5152万8264円であったのに対し、被告が退職した令和5年11月時点では4291万3050円にまで減少していたこと……からすると、被告の退職後の利益減少についても、被告の競業行為のみによるものとはいい難く、むしろ、被告退職前からの下降傾向の継続という側面が相当に大きかったものといえる」

「本件分院の周辺の状況をみても、……本件分院は、同一圏内で相当に厳しい競争にさらされていたことが認められる……。また、本件分院が所在するなんばエリアには、……本件分院を含む原告グループの分院が3院存在し、大阪・梅田エリアにも分院が5院存在したところ、……グループ内での分院同士の競業も生じていたことが認められる……。このような競業の状況は、本件分院の売上げ及び利益の元々の減少傾向の背景事情といえ、ここに被告クリニックという新たな競業が加わることで、競争がさらに厳しくなったという一定の影響はあったにせよ、本件分院の売上げ及び利益の減少を、被告クリニックの競業のみに帰責させることは、上記実態に沿うものではない」

「被告の退職後、本件分院の院長が複数回交代している……など、被告の競業に関わらず、被告退職後の本件分院の経営状況そのものが、本件分院が選択されず、あるいは、顧客離反の要因となった可能性も否定できない」 「本件分院の利益減少には、被告の競業行為による部分があったとはいえ、それ以外の要因による部分が相当に大きいものというべきであるから、被告の競業避止義務違反による原告の損害は、上記で認定した利益減少額(1億4329万4524円)の20%に満たないもので、2200万円の範囲に限って、因果関係のある損害と認めるのが相当である(なお、本件の計算過程に照らし、損害額を低い位まで厳密に求めようとすることは、有意なものとは解されず、いたずらに数字を細かくするのみで、相当なものではない。)

4. 検討

(1)退職後の競業避止義務の有効性

退職後の競業避止義務は、職業選択の自由(憲法22条1項)の観点から問題のあり得るものであり、必要性・合理性を欠く合意について、公序良俗違反(民法90条)を理由にその有効性を否定した裁判例も多く存在します。

近時の効力否定例としては、ビットウェア事件・東京地裁令和6年9月24日判決があり、そこでは、SEの従業員らに対し競業企業への就職等を禁ずる就業規則上の規定は、技術の進歩の速い業界で2年間もSE業務の継続を事実上不可能にし、地域の限定も代償措置もないとして無効と判断されました。他方、近時の効力肯定例である日本産業パートナーズ事件・東京高裁令和5年11月30日判決では、労働契約書上の1年間の競業避止義務は、対象がバイアウトファンド事業に限定されると説明されていたことから、年平均1,200万円超の報酬は代償措置として十分ではないとしつつ、義務の必要性や制限内容を考慮して有効と判断されました。

これらを含め、従前の裁判例では、①競業避止義務の必要性、②制限の範囲、③代償措置の有無・内容等が考慮されてきました。本判決も「競業禁止によって守られる利益の内容及び性質、在職中の地位、代償措置の有無、禁止行為の範囲や期間等」を考慮要素として挙げており、従前の裁判例を踏襲したものといえます。

その上で、本判決は、被告の分院長という秘密情報にアクセスできる地位から競業避止義務の必要性を肯定するとともに、制限の範囲が期間的にも地理的にも限定されていると評価しました。本件の競業避止義務の期間は1年ですが、従前の裁判例でも1~2年程度であれば期間の相当性が認められやすい傾向にあり(ただし、前記ビットウェア事件では、業界的な事情を踏まえて2年が長きに失すると評価されました)、その傾向に沿った判断といえます。

競業避止義務の不利益に対する代償措置は、裁判例では特に重視される要素です。厚遇であるかどうかは当該業界の水準と比較する必要があります。本件の被告は、年2500万円の固定給に加え、月額約76万円〜349万円のインセンティブ報酬も支給されていました。この固定給自体は1年目から年収2000万円ともいわれる美容外科業界では特別に高給ではありませんが、インセンティブ報酬を併せた額は業界の水準から見ても高額であったと評価されたものと考えられます。

本件で考慮された代償措置には、独立サポート制度の提供が含まれています。独立支援を代償措置として認めた例としては、トータルサービス事件・東京地裁平成20年11月18日判決がありますが、金銭給付に比べて、どの程度の支援制度であれば代償措置として評価されるのかは判然としません。本件は金銭給付の水準のみで代償措置として十分であった事例であり、独立サポート制度の提供は補強的な事情と理解するのが適切です。

(2)競業避止義務違反による損害額の算定

競業避止義務違反の本来的な効果は、競業行為の差止めと損害賠償です(その他、退職金の不支給・減額、代償金の返還、違約金の支払等があり得ます)。使用者の被る損害としては、顧客奪取による売上減少という逸失利益が挙げられます。

もっとも、競業避止義務違反と使用者の売上減少との間の因果関係の立証には困難を伴う場合も多く、例えば前記トータルサービス事件では、民事訴訟法248条(立証困難時には裁判所が相当な損害額を認定できるとの規定)の精神も考慮し100万円の損害が認定されるにとどまりました。他方、アイメックス事件・東京地裁平成17年9月27日判決は、被告の競業避止義務違反を認めながら、原告の売上減少との間に相当因果関係があるとはいえないとして、損害賠償請求を否定しました。

この点につき、本判決は、原告の利益減少が本件分院における元々の利益減少傾向や競合間の競争に起因している可能性を指摘しながらも、被告の競業避止義務違反との間に一定の因果関係を認め、利益減少額の20%を損害として認めた点に特徴があります。美容医療という業務の性質上、顧客が医師個人との信頼関係を重視する面があり、(顧客が多数流出した証拠はないものの)一定の顧客が被告の開業先に流れたと推測できることがこのような判断に繋がったものと考えられます。また、本判決は、限界利益を損害算定の基礎だと述べたうえで、具体的な限界利益率を計算しており、この点も競業避止義務違反に基づく損害賠償請求を検討する際に参考になる判断といえます。